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結婚の意義
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様々な意義
妻の、あるいは夫の愛し方を知らんと欲する者は、イエス・キリストとその教会とを見るべきである。「神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さったのである」(エペソ五・一ー二)。人間の全存在にかかわるその相互的配慮、その好意、その結婚の愛情を、文字通りキリストの教会に対する愛と、教会が主に対する応答として与える愛の模倣たらしめなければならない。
別なパウロの表現に従えば、キリスト者の結婚は相互に対して「キリスト・イエズにあっていだいているのと同じ思い」(ピリピニ.五)をもつことに存する。かくてイエス・キリストの救いのわざは、結婚の性質を明らかに解明するとも言い得よう。それは、夫婦たる者に神の前における真の遭遇の意味を、相互いのための真の生活の意味を、相互いの真の献身の意味を、自己犠牲の意味を教えるのである。
慎重に謙虚な態度をもって、さらに考えをすすめてゆくことができるように思われる9というのは、パウロが「この奥義は大きい」と、すなわち、まず第一にこれは、なにびとも干渉することのできないかくされた真理である、と言っているからである。しかし、結婚は、キリストの教会に対する愛の光によって照らされるのみならず、それは神のその民に対する愛、キリストのその教会に対する愛にも讐うべき、不完全ではあるが真実な一つのかたちである。
第一の現実、唯一の真理は、もちろん神の救極の行為であるが、この大いなる奥義が人間の結婚の中に一種の反映を見出すことを、神は喜び給うた。あらゆる結婚は、非キリスト者の結婚でさえも、あるかくれた仕方で、神の愛の、したがってイエス・キリストの良き音ずれを宣言している。結婚、すなわちふたりの人間の遭遇は、ひとりあること、孤独なることを選ばず、人間のために、選民のために、教会のために存在することを選び給うた神の本来の御意志を想起せしめるものである。
夫婦は結婚において、信仰を通して、肉の結合(それがどんなにすばらしいものであっても)より無限にまさった結合、すなわち地上においてすでに神の国に関与するところの神秘的な、しかも栄えにみちた結合を知ることができるのである。
これは、キリスト者の結婚は一会の中にあるということである。聖霊の働きをとお七ての信仰の交わりによって、結婚は教会の交わりの基本的細胞を生み出す。こ・のことこそ、夫婦たる者が決してふたりの利己主義ー物質的にもせよ霊的にもせよーで満足し得ない理由である。彼らは、教会を表明するものである。
彼らが教会の信仰をわかち合うかぎり、夫婦は教会の内にあっても外にあっても¶常に倒人に対して教会たるべきことを命ぜられている。彼らは、あらゆるキリスト者と同様、めいめいに、キリストの恩恵のあかしを担わなければならな、いのみでなく、また夫婦として示すべき固有の特別なあかしがある。
彼らの夫婦としての行動、結婚において神の愛を生き抜くその態度は、暗に人々の注意を愛(アガペー)なる神ーそめがたちのごとくわれわれがつくられ、その愛にわれわれがならうことを求められている神に向けるていのものでなくてはならぬ。
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