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結婚の意義
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結婚の意義
われわれの今日の語蟄はあまりにも貧しい。というよりは、その貧しさは、多分その非キリスト教的あるいは少なくども偽キリスト教的性質の反映に過ぎないのかも知れない。キリスト教神学は、われわれが普通同じ愛という言葉で訳している二つの概念-他に適当な語がないから、われわれはエロースとアガペーというギリシャ語で呼んでいるがーの間に範疇的区別をつけている。
これらの概念は、われわれが身体的性的な愛と道徳的ないしは知的な観念的愛との問に受け取りがちな区別を目ざしているのではない。聖書は観念論を無視しており、それは霊的であるとともに物質的であるとも言い得る。
結婚を肉の結合すなわちからだと心と霊の結合として定義するとき、この関係は、キリスト者たると否とを問わず、あらゆる人間に共通の普遍的関係であるから、愛というものを定義づける必要はないように思われるかも知れない。結婚は創造の秩序に関与し、その性質そのものによって、信仰のないところにもすべての人にかかわりをもつ、と言い得るのはこのためである。
しかし、もしも「神のかたちのごとくに」という言葉を考えるならば、他の観念、他の特質がはいってこなければならないことが明らかになってくる。神のかたちのごとくにつくられたゆえに、人間は神の愛すなわち地上の愛とは非常に異なったかの特異なる神的愛の対象である。人間は、神のアガペーに運命づけられているのであって馬自己中心の愛すなわちエロースに運命づけられているものではない。
神のことばによる結婚は、いかなる利己的な愛もおとしめられることはできない。なぜなら、それは神のアガペーの豊かな奥義にあずかっているからである。
これがこの論文の主題二体・一霊」の真の意味である。それはからだと心を対立せしめたり、両方が結婚の中に含まれていることを主張したりする問題ではなく、まず第一に、もしも自然的な肉の結合が霊的な結合を伴い、とれによって変容されないならば、そこには本当のキリスト者らしい結婚億存在しないということを述べるのが主眼である。霊的な結合とはすなわち、ある特定の人間的能力にしたがってではなく、生ける神御自身、聖霊すなわちわれわれのうちなる神に従うところの結合のいいである。
結婚において、キリスト者なる夫婦は、ただ単に「心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をっくして」互いに全く所属し合うだけであってはならない。彼らば、神のために一つとなることによって(ということは、同じ信仰、同じ望み、同じ愛をわかち合うことである)、結婚の交わりは、それに先立つ夫婦相たずさえての救い主との交わりに依存する。もっと精密に言えば、本当のキリスト者の結婚とは、夫婦が同じ信仰を共有すること、否、さらに彼らが同じ信仰になることである。彼らは自然に従う結婚によって一体とせられ、同じ御霊によって生きることにより、この肉の結合を完了することを命ぜられているのである。
キリスト者と未信者間、あるいは異なったの信者同志の間の結婚という観念そのものを厳しく問題にする。かかる問題については、・われわれは抽象的に律法化しないように注意しなくてはならない。新約聖書は、かかる結婚について、い「不信者の夫は妻によってきよめられており戸不信者の妻も夫によってきよめちれている」と述べて、われわれを謙遜にし慎重ならしめる。しかし、、パゥは、将来の結婚を考えている人々について、述べているのではなく内すでに結婚した人々のととを言っているのであることを記憶しなければならない。
彼は混合結婚をすすめているのではなく、ただ信仰の理由による離婚を避けようとしただけである。彼の言葉の中には、かかる混合結婚の危険重すなわち、少なくとも暫時同じ信仰に結ばれることのできない夫婦が、そのゆえに神のかたちの反映たる神の制定による結婚の根本的な意志を、一体一霊の結合において実現し得ないという危険レを見くびらせるようなものは何もない。
しかし再び言うが、キリスト者の生活に関する絶対的な理論を公式化することはできない。「情の燃えるよりは、結婚する方がよいからである」(ーコリント七.九)というパウロの言葉を思い起すとともに、ではなく、神の聖霊の奇跡であっ矧、神ば人のなし得ぬことをなし得給う呂いうことを確信し繍ければならない。神は試みてはならないが、忘れてもいけない。
ここに再び祈祷シ」そ、この窮地に対する唯一の解決策である。キリストにならう者この点において、結婚は先ず第一にキリ,スト教信仰の領域にある。それは、創造の秩序と呼ばれるものに関係するのみならず、救極の秩序、すなわちイエス・キリス玉の救いのわざに関係する。ここでパウロがその関係を確信しているエペソ書の五章を、特に次の個所を読むべきである。
「妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。……夫たる者よ。キリストが教会を愛してそのためにご自身をささげられたように、妻を愛しなさいo……この奥義は大きい。それは、キリストと教会とをさしている」。パウ冒は、ここで結婚とイ等ス・キリストの救いのわざとのはっきりした関係-比喩といってよいかも知れないーを確立している。彼は、キリスト者夫婦の結婚生活の典型として、キ玖ストとその教会との関係を与えている。
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